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今日、久しぶり<耳をすませば>を見た。

耳をすませば [DVD]

耳をすませば [DVD]

 

 正直、昔はただの中学生の素敵な恋物語としか見てなかったし、中学でバイオリン作るためにイタリアに行くボンボンと、文学少女なんかに共感するものなんかなかった。

ただ、今見るとやばい。この映画は社会に出て、才能の有無とか気にし出したり、若いうちに色々やんなかったりした人が見たらやばい。

何がやばいか

まず<耳をすませば>は、主人公の「月島 雫」と、「天沢聖司」の二人の物語であるが、この二人がやばい。

聖司くんは、中学3年の途中からイタリアに行き職人として適性があるか、厳しい師匠のもとでやっていく覚悟があるのか試される。それがだめなら高校に行けという、親の言葉も、保険のようで嫌だという。

雫は、イタリアに行き、10年近く帰ってこないと言われているが、悲しむのは一瞬で聖司くんを応援する。と同時に何者でもない自分に焦りを覚え、自分が好きなこと、やりたいことを「やる」のだ。

もうここまでで、やばい。ただ悶々と「夢」は有るけど叶える気がない人がこの世にはたくさんいると思う。しかし、雫と聖司は中学で才能を試して、「夢」を目標に、実現に変える努力をしているのだ。

 

雫は小説を書き、聖司の祖父に読んでもらう。自分でもその不出来な内容はわかっている。第三者に評価してもらい、評価されることに震える。自分には才能がないのではないかと、聖司のように「夢」を現実にするのはできないのではと。

結局話の最後には、聖司の祖父にも慰められ、雫自身も自分には「やりたい」気持ちだけじゃだめだと悟り高校進学を決意する。

雫が決めたのは、高校に行くことである。

このまたやばい。みんなが行くから高校に行く人がこの世のほとんどだと思う。もちろん理由はどうあれ行かない人、やめる人はいると思う。しかし、高校に行くかどうかを悩み、引く必要がある、このために行くという理由がある人間が、どれくらいいるだろうか。

僕が<耳をすませば>を見て思ったのは、自分の人生の決断への後悔や、今の自分の焦りであった。

自分の才能を試し、評価に震え、自分で決断し、周りに流されず自身で決断する。

そういう人に私はなりたい。他人の課題を自分で抱えず。自分の目標を現実に近ずける努力を続けたい。多分大変で、怖いこともあるかもしれないなと。

 

以上